|
現在の人間は間違った考えで生きています。死んでいくにきまっている人間の人生観、世界観は空です。死んでいく人生観、世界観でみますと、自分が存在すると思えるのです。
世間一般の人間は全て、死んでいく人間の感覚で生きています。聖書はこれを原罪といっています。
日本の教会はキリスト教を説いているのであって、聖書の実体を説いているのではありません。キリスト教では、原罪が正確に説明されていないのです。従って、自我とはどういうものか、自我意識を滅却するためにはどうしたらいいか分からないのです。イエス・キリストの十字架がどういうことか、さっぱり分からないのです。十字架は自我を切り捨てる一番重要な原理になるのです。
自分が生きているというのは、全くの空念仏です。ドイツに、ハイデガーという哲学の大御所がいました。かつて、日本の京大の西谷教授が訪問した時に、「自我意識は困ったものだ。自我意識は人間の中に入りこんで、人間を食いつぶす恐るべきどう獰猛な性格をもったものであるが、どうして人の中に入ったのか説明ができない」とハイデガーが言っていました。聖書にははっきり書いています。禁断の木の実を食べたことが、自我意識を食べたことなのです (創世記・2・16〜3・7)。
エデンの園に二本の木がありました。一本は命の木であり、もう一本は善悪を知る木であるといっています。命の木は神の場に立つことで、神を信じることをいうのです。善悪を知るというのは、自我意識の場に立つことをいうのです。
人間の祖先のアダムが、自我意識を食べてしまった。それ以来すべての人間に知ると知らざるとにかかわらず、自我意識が定着することになった。これを原罪といいます。罪の原因です。人間はどうしてもこれを破ることができないのです。
現在の人間は、全て自分が生きていると考えています。これは原罪で生きている証拠です。人間は自我意識なしには生きていられないのです。
人間は自我意識の奴隷になっているのです。セックスも、商売も、家庭のことも社会のことも、全て自我意識で考えています。だから欲深い人間になってしまうのです。これが人間の業、カルマです。カルマをのりこえてしまわなければ、人間は成仏できません。自我意識をのりこえるかのりこえないか、自我意識に降参するか、踏みつぶしてしまうかが、死ぬか生きるかの決定的な別れ道になるのです。
自我意識は故なき意識です。自分が生きていると勝手に思っている。自分がそう思っているだけなのです。
自我は無いのです。個人主義は嘘の考えです。百年程前から、フランスで個人主義が始まりましたが、これは嘘です。純粋の個人は世界中に一人もいないのです。どこかの国民であるとか、市民であるとか、家族の一員、会社の一員、社会の一員であって、そういうものに全く関係がない人はいないのです。
個人は全く存在していない、架空の人柄をいうのです。個人主義というありもしない思想をユダヤ人が宣伝したのです。これが人権意識の始まりです。自由、平等、博愛というもっともらしい言い方で、個人がいると考えさせられている。この現代人の感覚がまちがっているのです。昔の日本人は、個人という意識は少しぐらいはもっていても、個人主義という愚かな思想は考えなかったのです。世間様と一緒に生きているというのが、日本人の通念だったのです。今の日本人は世間を考えなくなったのです。
個人主義とか個我主義は、御伽噺の人間像であって、こんなものは実在していないのです。だから個人という考え方をやめれば、私たちの精神はとても楽になるのです。
個人が存在すると考えることが、自我意識が起きる原因なのです。砂糖をなめて甘いと思うのは、六十四億の人間の共通な感覚です。五官の感覚は世界の人間に共通しているのです。全世界には一種類の人間しかいません。従って、自我観念、個人主義を捨てれば、我々の心理状態は大変楽になるのです。
自我意識を捨てれば、へそを曲げたり、文句を言ったり、腹を立てたり、憎んだり嘘を言う必要がないのです。気楽な人柄になれるのです。
自我を滅却することを宗教でもいいますが、宗教では自我の本性は何であるかを説明できないのです。自我は人間の罪です。罪悪の根源です。自我は悪魔が発明した嘘の意識です。だから罪悪の根源である自我を捨てなければいけないのです。自分が救われたいとか、死んでから天国へ行きたいと考えるから、宗教になってしまうのです。
私たちは、自我をのりこえるために生まれてきたのです。業を捨てるためです。死んでいく自分の業をのりこえれば、死ななくなるのです。
自分が生きているという愚かな考えを捨ててしまって、生きているという実体を見るのです。魂の実体が人間の実体です。人間の実体は死ぬべきものではないのです。
自我は空です。人間は自我で生きているので死なねばならないのです。
私たちの目が見えることは、死なない命が働いていることなのです。目が見えるというこの簡単なことをよく見れば、死なない命が分かってくるのです。
自我意識は嘘です。「我思う、故に我あり」というデカルトの考えは根本から間違っているのです。
ユダヤ人の思想に惑わされないで、般若心経という独自の世界観に従うのです。自我を捨てれば死ななくてもいいのです。自我を捨てれば誰でも成仏できるのです。このことをよく考えて頂きたいのです。
|