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太陽と地球の関係、太陽のエネルギーによって、地球が生きている。この状態をひつくるめて、キリスト計画というのです。太陽と地球があること自体が、キリスト計画なのです。こういうことが、日本人には全く分かっていないのです。
まず必要なことは、一切空という考えです。人間の常識も、知識も、一切空です。財産も、地位も名誉も、一切空です。そういうものに頼らないで、本当に霊魂が頼るべきものは、命なのです。
五官の働きが、生まれる前の命なのです。それで皆様は、現在生きているのです。生まれる前の五官の本質が、肉体的に生きているのです。
そこで、生まれる前に帰ったようなつもりで、現世の生活は空なのだということに気がつけば、あの宗教、この宗教と、宗教遍歴をする必要はないのです。
私たちの命は、五官の本体です。簡単なことです。見ているのは、生まれる前の命で見ているのです。聞いていること、舌で味わっていることも、生まれる前の命でしているのです。これが私たちの命ですから、現世の常識を、解脱しなければならないのです。これが釈尊の本当の言い分です。
私たちが、五官を通して、見ていること、聞いていることにより、生きている実体が感覚されているのです。これが本当の命です。生きているという感覚の実質が、命です。
日本人の命は、男は七十五才位、女は八十才位と言われていますが、これは人間が常識的に考えている命なのです。いわゆる寿命です。寿命は、人間が現世に生きている状態を土台にして、考えているのです。
命は、五官が感覚しているその主体です。例えば、冬に、太陽光線があたる所で、日向ぼっこをしていますと、暖かさを実感します。暖かいということは、何でしょうか。これが太陽系宇宙にある命の本物なのです。
砂糖をなめると甘いと感じます。甘いということが、命の味覚的な本体です。これは甘いだけではありません。にがいことも幸いことも、骨そうです。
このように、見る感覚、味わう感覚、手で触れる感覚が、実は本物の命なのです。これを悟って頂きたいのです。砂糖が甘いことを味っていることは、何を味わっていることなのか。
味とは一体何であるのか。これを教えてくれる人がいないのです。聖書では、味わうこと、音を聞いていること、手でさわっている触覚が本当の命であって、これを内の光といっているのです (新約聖書マタイによる福音書6・23)。内の光が暗ければ、死んでからまっ暗だといっているのです。内の光、自分の魂の光、私たちの五官の意識は、魂の本体であって、私たちの魂が、物質的、生理的に、この地上に生きている。そして、色々なものを触ったり、味わったりしているのです。これが、生まれる前の命を経験しているのです。
それが何かということです。人間は生まれる前に、命を失ってしまったのです。生まれる前に命を失ってしまったので、人間は死なねばならないような状態で、この世に生まれてきたのです。これは動物的な命です。この世に生きている人間の生命は、すべて動物的な生命です。これは本当の命ではないのですところが、生まれる前に霊魂が味わっていた経験が、そのまま私たちの五官の状態として、それぞれの人格の中にあるのです。これが内の光なのです。
私たちが舌で味わっているのは何なのか。命を味わっているのです。もっとはっきり言いますと、神を味わっているのです。手で触っているのは、神を触っているのです。そのように、私たちの五官は、非常に鋭敏に、正確に、神を実感しているのです。ところが私たちは、それを神として実感しないで、自分が見ている、自分が味わっていると思っている。これは神を横取りしているのです。神の栄光を自分が横領しているのです。
私たちの五官の働きは、霊魂の働きです。これは本能的なものです。ところが、本能はすべて欲望だと考える。本能の見方が、間違っているのです。
性と食は本能です。本能は先天性にきまっているのです。先天性というのは、生まれる前の状態ですから、現世の欲望とは違うのです。それを、性欲、食欲は、現世の欲望だと考えている。この考えは、一部の誤ったユダヤ人の考えから広がったのです。
ユダヤ教は、肉体的に生きている人間を、非常に重視しているのです。肉体的に生きている人間を重視することが、現代文明の根本的なアイデアになっているのです。つまり、ユダヤ教の宗教観念が、現代文明になっているのです。これが学校教育の基本です。
皆様は、教育、人間の常識を信じないで、五官の感覚を信じればいいのです。これが死なない命の実体なのです。
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