AIで普通の動画を3D動画に変換する

        7あば父

学問が人間の魂をゆがめてしまったのです。学問があるために、自分の命をまっすぐに見られないような習慣がついてしまったのです。これが現代文明の大欠点です。
 学問主義は、ユダヤ主義です。資本主義、社会主義、自由主義、民主主義は、ユダヤ人学者が考え出した主義なのです。こういう思想に、人々はかぶれているので、素朴に魂を見ることができなくなっているのです。だから命が分からないのです。
 命を見つけるためには、自分が生きていることを、じつと見ればいいのです。学問は人間が生活するための方便であって、本当は学問などというしかつめらしいよび方をする必要はないのです。人間の霊魂の真髄、人間の命の本当の姿を学ぶことを、学というのですが、そんなものは日本にはないのです。
 明治になってから、人間の質がどんどん下がりました。人々は人間の質が上ったと考えていますが、それはまちがいです。ユダヤ主義にかぶれているからそう考えるのです。現代の文明を讃美している人は、皆学問主義、ユダヤ主義にかぶれているのです。ユダヤ人が間違ってしまったために、全世界の人々が道に迷ってしまったのです。
 皆様は、自分の意志で生まれてきたのではないということを、よく考えて頂きたいのです。皆様が生まれたいと思って、お生まれになったのなら、命は皆様のものです。生まれたいと思わないのに生まれてきたということになりますと、命は皆様のものではないことになるのです。
 日本にはお天とうさんという言葉があります。内容はからっぽですけれど、すばらしいニュアンスを持っているのです。仏教には、こういうすばらしい言葉はありません。
 聖書も神のことを父と呼んでいます、イエスも神を父と呼んでいますが、父というのはしかつめらしい言い方であって、本当は「あば父」というのがいいのです。あば父という言い方は、お天とうさんという言い方と、よく似ているのです。命の源泉を、お天とうさんと呼ぶ気持ちになれば、皆様は自分の命がはっきり分かるでしょう。そうすると、死なない命が分かってくるのです。分かれば業が果てるのです。
 「命」を勉強するためには、自分がどこから生まれてきたのか、命は誰のものかを勉強して、知る必要があるのです。
 人間は、何かの原因、誰かの意志でこの世に出てきたのです。地球上にだけ、理性を持った人間がいるのです。人間という動物は、一体何であろうか。味が分かる。形が分かる。色が分かる。ちょっと見ただけで、重いか軽いか分かる。走っている車の速度もだいたい分かります。さらに、人間本来の修練によって止揚するのです。
 人間は、こういう崇高な精神機能と、人格という奇妙なものを持って、理性という不思議な精神力によって生きている。これは一体何であろうか。それは実は皆様が現在生きている姿が、そのまま父の現れなのです。
 宇宙に命があるのです。命には二種類ありまして、人間が現世に生きている命を命と言います。生は生まれる前の命です。生は現世を去ってからも続いていく命です。これは永遠の生命です。この二種類の命があるのです。現世の命を持ったままで、生を見つけることはできないのです。
 私たちは、過去という時間と、現在という時間、未来という時間を区別して考えることができます。これが考えられるのは、人間だけなのです。
 神は常時現在です。神には、過去も、未来もないのです。人間だけにあるのです。自分が現在生きている精神内容をよく見ていきますと、私たちの父が何であるかが分かるはずなのです。現世の親から生まれてきたというのは、中国の儒教の精神です。儒教の精神はこの世の精神であって、永遠の命とは違うのです。孔子は、『我いまだ生を知らず、いわんや死においてをや』と言っています。生きていることが分からない。従って死んでからのことは分からないというのです。孔子の教えは、現世の生活に関する教えであって、命を正しく教えていません。般若心経の方が、よほどましなのです。
 ところが、日本では般若心経が仏教のお経になったために、般若心経の本当の精神が、いまだかつて説かれたことがないのです。般若心経の解説書は、何百冊も出ていますが、皆中途半端なものばかりです。はつきり言えば、嘘ばかり書いているのです。空を自分で実験していないのです。言葉の説明はしていますが、般若心経と霊魂の関係を、全く説いていないのです。
 従って、般若心経の解説書を、何百冊読んでも、本当のことは分かりません。般若心経をあ 本当に知りたければ、自分を見ればいいのです。観自在とは、自分自身の本質を見なさいということなのです。私たちが現在生きている命は、必ず死ぬにきまっている命なのです。これは誰でも分かるはずです。死ななければならない命を、なぜ自分の命だと思うのでしょうか。
 命の勉強を真剣にしたいと思われるのなら、死なねばならない命を、自分の命だと思うことをやめて頂きたいのです。これを般若心経は、五蘊皆空と言い切っています。究竟涅槃を実行すれば、死ぬべき命が自分の命ではないことぐらいは、簡単に分かります。命が自分のものではないことが分かっても、誰の命か分らない。般若心経ではこれが分からないのです。
 私たちの命は、私たちを生んだおやじのものなのです。肉体の父親は、本当の父親ではないのです。私たちが必要なのは、霊魂のおやじなのです。私たちを地球に生み出した力、そのエネルギーが、父なのです。太陽をごらんになれば、それが分かるはずなのです。太陽をじっと見ると、それが父の姿を端的に現しています。
 現在の私たちの命は、死んでしまうにきまっている命です。この命に執着していると、私たちの霊魂は、必ず死んでしまいます。そこで生きているうちに、霊魂がどこからきたのか、何のためにこの世に生まれてきたのかを、勉強しなければならない責任があることを、よく考えて頂きたいのです。