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               4人の中に死なない命が宿っている

現在、私たちが生きている命の本質は、永遠の命なのです。ところが、その、とらえ方がよく分かっていないために、みすみす永遠の命を逃してしまって、死なねばならないことになるのです。
 簡単にはお分かり頂けないかもしれませんが、永遠の命のとらえ方の要点と、その原理をお話しします。
 死なない命は、毎日勉強を続けていないと分からないのです。まず第一に考えて頂きたいことは、今、私たちが生きているということです。これをよく見て頂きたいのです。
 家には電灯がついています。外には、太陽が輝いています。電灯をともしているエネルギー、太陽が輝いているエネルギーは、人間の命の正常な働きの原理になっているのです。私たちは、生まれて、物心がついてから、ほとんど毎日、太陽の輝きを見ています。曇った日や、雨の日はともかく、それ以外の日は、だいたい見ています。
 人間は、太陽があるのはあたりまえだと思っていますが、人間が死んでいくのは、こういう考え方によるのです。だいたい、太陽があることは、あたりまえではないのです。あたりまえというのは、この世の中に、一つもないのです。あるべき道理があるから存在するのであって、あるべき道理がないものは、ありえないのです。
 道理が分からない人が、太陽があるのはあたりまえと、勝手に言っているのです。例えばマルクスは、人間が偶然に生まれてきたといっています。偶然に生まれてきたという道理はないのです。これはマルクスの思想であって、ユダヤ思想の非常に悪い点なのです。
 ユダヤ人は非常に優れた民族であり、歴史の先頭に立って、人間全体をひっばっていかなければならない責任を持たされている民族なのです。この民族が間違えてしまったのです。
 西洋哲学が、現代文明の間違いの根底にあるのです。
 欧米人は、人間が生まれてきた目的の説明ができないのです。日本人もできないけれど、日本人の方がまだましです。日本には、人間が偶然に生まれてきたという思想はありません。しかし、人間が生まれてきた目的を説明した人は、日本には一人もいないのです。聖徳太子も、弘法大師も言っていません。人間の目的、人生の目的は、日本人にはまったく分からないのです。分からないのですけれど、偶然に生まれてきたとはいわなかったのです。
 お天とうさんという思想は、人間が偶然に生まれてきたという考えではありません。現代文明は、ユダヤ的な思想が非常に強く、専門学は、ほとんどユダヤ人が考えた学問です。これが問題なのです。専門的ということは、部分的ということです。部分的な思想を勉強した人が、社会の指導をしているので、文明全体がまちがってくるのです。
 学問の根本的なまちがいが、文明のまちがいを起こしているのです。生きていながら命が分からないのが、専門学の欠点です。ノーベル賞をもらった学者が、偉い学者だと言われている。学理学説がまちがっているのです。
 太陽があるのは偶然だ、人間が生まれてきたのは偶然だという考えを、やめるのです。
 人間は、生まれるべき理由があって、生まれたのです。太陽も、あるべき理由があって、あるのです。美しい花は、偶然に咲いているのではありません。
 天が、命を知らせるために、人間に見せているのです。ところで風流の心は、「おのずから」の命を見ようという気持ちが、働いているのです。日本の 「雅」 の心は、常識以上の感覚で、物を見ようとする心なのです。
 こういうことをよく勉強していきますと、生きている「趣」が分かってきます。趣というのは、形ではなくて、実質なのです。竹の柱に萱の屋根という考え方、自然の中にとけこんでいく人生、人生の中にあるものを見ようという考えは、欧米人にはありません。
 祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響ありという考え方は、般若心経の考えと同じなのです。般若心経は、現在の世界の文化の中で、あらゆる哲学、宗教の中でも、最もすぐれたもの
の一つなのです。人間の思いを「空じる」ことが、人間の文化概念の基礎にならなければならないのです。
 今の人間の文明思想、世界観、価値観を、空じるのです。これが、命を見つける第一歩です。今まで生きてきた生活観念を、空じるのです。色即是空、空即是色、究竟涅槃です。
 般若心経を、毎日読んで頂きたいのです。ただ棒読みするだけではなくて、できるだけ、般若心経の心に接するように読むのです。そうすると、素読百遍意自ずから通ずということが、少しくらいはいえるでしょう。
 これをすると、霊魂が、謙遜になります。霊魂の謙遜を踏み台にすると、命がちらっと見えてくるのです。
 花が咲いているということは、地球の命が現れているのです。地球の命は、死なない命です。私たちの目は、死なない命を見ているのです。死なない命が、花になって現れている。
 月の光は、太陽系宇宙の中にある死なない命が現れているのです。花に見とれている時の自分の気持ちを、深く内省しますと、花の中へ入っていくような気持ちになります。そうすると、宇宙にある本当の命、死なない命が、少しは分かってきます。これが魂の力です。人間の霊魂は、死なない命を見る能力があるのです。
 第二には、大自然をよく見ることです。大自然は、人間に、命のあり方を教えているのです。宇宙に命の根源があって、これが、月となっているのです。命の本源は、死なない命なのです。
 死なない命が、美しいという形で、霊魂に感じられるのです。その時、私たちの霊魂は、死なない命に反応するのです。自然現象があることが、人間の霊魂と重大な関係にあるのです。
 命の本源が天です。あるいは、神といった方がいいでしょう。
 神とは、人間をこの世へ送り出した力なのです。地球を自転、公転させている力が神であって、神が、現に、私たちの心臓を動かしているのです。
 宇宙の命のエネルギーが、そのまま私たちの肉体の中に宿っているのです。死なない命が、今、私たちの中に宿っていることを、よく考えて頂きたいのです。そして、自分の中にある命を、見つけるのです。そうすれば、死なない命をつかまえることができるのです。
 そのためには、世界の歴史の流れに、順応した考え方を持つ必要があります。
 日本人の島国根性だけではだめです。東洋哲学だけでもだめです。世界全体の人間の流れを知るためには、どうしても、天地が何のために造られたのか、天地創造の勉強をする必要があります。そのためには、旧約聖書を勉強するしかないのです。
 天地が造られた原理を悟ることです。また、歴史の勉強をすることです。なぜ歴史の勉強かと申しますと、白人と、アジア人と、黒人の、三大種族が、どうしてできたのかということが分からなければ、世界の歴史の流れは分からないからです。日本人は、こういうことが、不得手のようです。
 歴史の流れと、大自然のあり方が、時間と空間です。時間の流れと、空間の流れが、そのまま死なない命の流れになっているのです。これを勉強しなければならないのです。死なない人間になりたいという願いを、毎日持つのです。純粋に、素朴に、持つのです。
 自分の立場、自分の経験を問題にしないで、幼児のような素直な気持ちになるのです。せっかく命を持っているのですから、この命を逃してはならないのです。人は誰でも必ず死なない命をつかまえることができるのです。