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2ユダヤ民族を中心にして歴史は展開している |
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例えば、自民党と共産党がいつも言い争いをしていますが、これは政治的な業なのです。全世界六十億の人間は、業に満たされているのです。現在の人間文明は、業のかたまりなのです。 やがて太陽も消えてしまうでしょう。これが宇宙現象であって、宇宙には桜の花が咲くとか、果物ができるとか、家畜がいるという必要がないのです。ましてや、人間がいて、政治とか経済とかいう理屈を並べるのは、宇宙には何の関係もないことです。 では、なぜ地球という物質現象があるのか。地球と地球の周辺の惑星にだけ、物質現象があるのです。その他には物質現象はありません。それをあるように言いふらしている人がいますが、これがユダヤ人のテクニックなのです。聖書の原理をごまかそうとしているのです。 最終的に、イエス・キリストの復活を、否定しようとしているのです。現在の地球は未完成です。砂漠がある、地震がある、疫病がある地球は、未完成なのです。 隠れていたもの、現象世界が存在する前にはあった。現象世界が現れると同時に、真理が現象体になって現れたのです。「空」が「色」として現れたので、空が見えなくなった。隠れたのです。 色が現れるまでは、見えない形で空は存在していた。その空が色に化けたことによって、空がなくなったのです。色というもの、森羅万象は何かといいますと、空が化けているのです。人間は存在していない。人間であることが、人間があるとして出ているのです。私たちには生まれる前に、人間として生まれねばならない必然性があったのです。生まれる前の自分がなければ、今の自分があるはずがないのです。原因がなければ、結果はないのです。空がなければ色はあるはずがないのです。 そうしますと、私たちが見ている現象は一体何かということです。家がある。道路がある。山がある。川がある。これは空が色になって現れているのです。 空というのは一つの手です。色というのも又一つの手です。これが合わさったのが、現象世界です。色だけがあるのではない。真なるものが、如として来ているのです。私たちが見ている現象世界は、如来を見ているのです。現象が如来なのです。これを華厳経では、遍照金剛とか、大日如来とかいいます。だから、現象だけを見て、空があるに違いないことが悟れたら、片手の声を聞いたと同じことになるのです。 空がなければ色はない。私たちが見ている現象世界は、大日如来が拍手をしているような世界で、これが森羅万象として現れている。色の世界を見ることが、そのまま空の世界を見ていることになる。片手を見ただけで、両手の声を聞いているのと同じになる。これが仏の悟りです。観世音の悟りはこれだ、観自在菩薩の悟りはこれで、般若波羅密多の境地であるというのです。これが仏教でいう片手の声、隻手音声です。 色即是空、色即是色は、観念論としてはありますが、本当に色を見て空を悟っている坊さんは、日本にはいません。本当に悟っていたら、仏教界にはいられなくなります。仏教という商売が成り立つということは、空が本当に分かっていないからです。 現象世界を見て、本当の空が達観できたなら、片手の声を聞いたことになる。これは仏教の概念としての片手の音声です。 聖書で言う片手の声になると、このスケールが格段に大きくなります。聖書の方になりますと、森羅万象があるということは、世代があることなのです。見えないはずのものが、見える世代として現れているのです。 宇宙には、森羅万象はいりません。それなのに、犬がいる、猫がいる。牛も馬もいる。これは一体何かということです。犬や猫が現れなければならない必然性があるのです。鳥にもたくさんの種類がいます。昆虫は七十五万種類もいるのです。動物だけでも、百五十万種類もいるのです。どうしてこんな多くの生物がいるかということですが、これが人間 の魂に関係があるのです。 人間の魂にも、多くの種類があり、神がそれを、生物として現しているのです。人間の根性を、色々な生物で現している。ですから一番上等の根性になればいいのです。 色々な根性を持った人間が、黄泉で眠っていますが、これが全部よみがえる時が来るのです。これが霊魂の裁きです。これと森羅万象とは大いに関係があるのです。 自分の目が黒いうちに、自身の霊魂を完成しておけば、鳥獣の上に立つことができるのです。 一度この世に生れた霊魂は、もう一度出てこなければならないのです。これが本当の意 味での輪廻転生です。この世で人間が生まれ変わるのとは違います。現在の地球が過ぎ去った後に、新しく完成された世界で、よみがえるのです。その時に、自分がどういう位置におかれるかは、現世での修養の状態で決まるのです。 地球も人間も新しくなります。今見ている地球も人間も、全部仮の存在です。本当の人間も、本当の地球も、まだ現れていません。それは聖書に記されているのです。聖書を勉強しなければ、神の国は分らないのです。 私たちが見ている地球は、実は神の経絵が現れているのです。そういう意味で片手が鳴っているのです。 森羅万象の存在を、各々見ているわけですが、森羅万象とは一体何でしょうか。何を見ているのでしょうか。実は、森羅万象は、神が化けているのです。神が現れているのです。神が、千差万別の形で、自分を現しているのです。神の自己顕現が、森羅万象なのです。これが仏典で言う如来なのです。 私たちは桜の花を見ます。鳥や動物を見ます。それは神を見ていることなのです。人は神と共に生きています。人が生きていることの実体が神です。新約聖書はこれをインマヌエルと言っています(マタイによる福音書1・23)。人間もない。草木もない。猫も犬もない。神の経倫を見ているのです。仏典的に言えば、大日如来のすばらしい業を見ているのです。しかし大日如来は実在していません。聖書にあるエホバという神は、「有る」(is)であって、具体的に実在しているのです。大日如来は存在していませんが、「有る」(is)という神は、実在しているのです。この神をつかまえて頂きたいのです。これが、聖書から見た隻手音声なのです。 現在、神の経倫が、約束として今の地球に現れています。旧約聖書、新約聖書は、これを書いているのです。古い約束と、新しい約束とがあるのです。この約束の中心民族が、ユダヤ人です。神がアブラハムに約束を与えたというのは、この民族を中心にして、全世界の歴史を経倫しているという意味です。 今のユダヤ人は、廃嫡されていますが、なお現在も確固たる実力を持っています。神はユダヤ人を廃嫡した。廃嫡されたユダヤ人が、なお政治的、経済的に、世界を牛耳っているのです。そこで、この民が本当に神を信じる時代が来ると、地球はどれほどすばらしいものになるでしょうか。 私たち日本人は、ユダヤ人が廃嫡されているおかげで、聖書の奥義を知ることを、許されているのです。ユダヤ人が廃嫡されているから、御鉢が回ってきているのです。 やがてユダヤ人が日を覚ます時が来るでしょう。ユダヤ人が目を覚まして、本当のキリスト計画が分かる時に、世界はどのようになるのでしょうか。とても想像できない状態になるのです。これは、私たちが信じても信じなくても、事実です。ユダヤ人が目を覚まして、今までしてきたことが悪かったと悟り、反省する時が、必ずきます。そうすると世界の歴史が根底から新しくなります。それを私たちは心から願っているのです。 ユダヤ人に、本来の歴史観に立ちかえって欲しい。これは神の願いです。だから、必ず実現します。私たちがこれに協力すれば、大した功績になるでしょう。やがて私たちは神の一族として、肉体そのものが変ってしまうでしょう。私たちの肉体は、キリストの復活の栄光体に変化する可能性があるのです。キリストの復活がはっきり分かれば、私たちの肉体が変るのです。その時、私たちは、思想的にも肉体的にも、完全に死なないものになるでしょう。そこまで行けるのです。行ける可能性が十分にあるのです。 これが本当の人間完成です。イエスがその見本を示しているのです。イエス・キリストの復活は、私たちが完成される姿を、一足先に実現して見せたのです。これ以外に、人間完成はないのです。 そのためには、今まで私たちが生きてきたことが、空であることを悟ることです。般若波羅密多を悟って頂きますと、初めて、イエスの復活が分かるのです。自分の考えが間違っていたことがはっきり分かるまでは、イエスの復活の実体をつかまえることはできません。般若披羅密多が土台になる。そうしてイエスの復活の実体をつかまえることができるのです。 |