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現在、アメリカと北朝鮮が、核兵器の問題で押問答を続けています。これが難航して、容易に妥結しそうにありません。
核兵器のことになると、どちらが優勢であるか、どちらが劣勢であるかという問題になり、国家的な自尊心、経済的な目標等がからんで、厄介なことになるのです。石垣に手を詰めたような状態になって、にっちもさっちもいかなくなるのです。
だいたい、アメリカと北朝鮮が、自由主義、資本主義、社会主義というユダヤ人がつくった思想に、どうして従わなければならないかということです。とにかく、冷静になって、思想問題について心の目を開いて話しあえば、お互いの思想の欠陥を知ることができるのです。
原爆や水爆を並べて、お互いに脅しあうことをしないで、世界観の問題を心を開いて話しあえば、国家主権のばかばかしさが分かるはずです。これができない所に、常識という考え方の大欠陥があるのです。
常識とは何でしょうか。共産主義国家は、共産主義に従わねばならないと考えています。これが常識です。場合によっては、全世界が滅びるような大戦争をしても、仕方がないと考えている。これが人間の常識です。
なぜ仕方がないと思うのでしょうか、自分たちの世界観の間違いを充分に話しあえば、分かるのです。現在では共産主義についての解答も出ていますし、資本主義についての解答も出ています。従って、アメリカの大統領とロシアの大紋領が、キリスト教ではない聖書を基準にして話しあえば、何でもないのです。
お互いに、主義、思想にとらわれて、面子を考えている。それがこじれて、世界中の人々が大迷惑する危険性が、充満しているのです。人間はこういう愚かなことをしているのです。政治とは何でしょうか。政治の目的が何であるか、分からないのです。そういう間違いを常識というのです。
人間が常識に従って生きていますと、現世の人間のあり方が、本当のもののように思えるのです。自由主義、民主主義、資本主義、社会主義、共産主義が、本当のもののように思えるのです。
現世に生まれますと、好むと好まざるにかかわらず、常識の鋳型にはめこまれてしまうのです。これが人間の業です。般若心経がいう般若波羅密多とは、人間の業から出ていくことを意味するのです。
般若波羅密多とは、命のルーツをつかまえることです。命のルーツはどこにあるかといいますと、私たちが生かされていることの実体にあるのです。人が生かされていることの原理が、命のルーツです。
命のルーツをつかまえますと、死ななくなるのです。命のルーツとは、死なない命のことです。誰でも、命のルーツをつかまえることができるのです。
人間が死にたくないのに死ななければならないと考えているのは、命のルーツをつかまえていないからです。常識という人間の業に従って生きていますから、死ななければならないことになるのです。
皆様が本当に、心の底から死にたくないとお考えになっているのでしたら、それを口に出して、はっきり言ってみて下さい。誰もいない所で、「死にたくない」と大きな声ではっきり言えばいいのです。
ところが、それがなかなか言えないのです。なぜ言えないかといいますと、「それは常識に外れている」と考えるからです。常識に外れてもいいではありませんか。常識に外れることが、なぜ恐ろしいのでしょうか。
釈尊は常識に外れた人間です。イエスは常識を踏みつぶした人間だったのです。皆様もそうしたらいいのです。
般若心経と聖書は、人間の常識の向こうにある世界を示しているのです。
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